シアターχへ行ってきた。
演目は「私もカトリーヌ・ドヌーブ」(ピエール・ノット作)と「父の言い分」(ギィ・フォワシィ作)の2本立て。
キャストは「私もカトリーヌ・ドヌーブ」の方が長男・岩渕憲昭、長女・中村ひろみ、次女・竹本りえ、母親・花木佐千子
「父の言い分」の方が父・中野寿年、母・神野美奈実、息子・鈴木宙太。
2本終わった後でピエール・ノット氏のピアノと妹のマリー・ノットの歌で10曲のミニライブ。MCは英語で歌はフランス語だったから意味はぜんぜんわかんなかったけど。劇中で使われてたメロディもあったな。
 
「父の言い分」はシリアスなのかコメディなのか。見る人の取り方次第でどっちもありなのかな。
父を立てつつ尻に敷いている母。髪を染めて革ジャン着て口をきかない息子。言えば言う程空回りしていく父。
父のセリフの中で、昼休みに家に戻って昼食のときにワインというのと、昼休みが2時間もあるっていう部分が日本離れしていたけど。
最後は革ジャンを父に渡して去った息子と追い掛けていった父とその場に残された母だった。
出ていった息子と父がどうしたのか、は観客の解釈次第なのかな。残ってた母にはわかってたみたいだったけど。
 
「私もカトリーヌ・ドヌーブ」は……逃げる(狂う)のは早い者勝ちってことなのか?丁度飲み会では先に酔った者勝ちなように。
自分の言葉を放棄したような長男は出て行き、長女は地下室で存在しない観客相手にライブをし。
「今までまともだった」次女が「私はカトリーヌ・ドヌーブ」と言い始めて母親の中の均衡が崩れて行ったんだな。「母親を必要としない者」が目の前にあることで。
長女は母親と同じになりたかったんだよな。母親の独白で「昔はちょっと売れた歌手だった」って言ってたし。途中から同じヒステリー症状も出てたし。
母親は子供が出来て歌うのを辞めたと言っていたけど、長女も「最後のライブ」で「これから子育てに専念する」と言ってたな。その「子供」は誰になる予定だったんだろうか。
出て行ってた長男が戻ってきたところで母親は精神的な負荷に耐えきれなくなったんだろうな。それまではおかしくなりつつも何とかやってきてたのに。ヒステリックではあったけど、まだ、留まっていたのに。
母親が居なくなって、長女は同一化の相手を次女にしたんだな。長男は離れた場所に戻ったのかな。そして次女はどうしたんだろうな。
ところで、次女の名前がだみゴールドと似ていたのは偶然だったのかな?